西尾維新・睦月あきら『めだかボックス』
化物語シリーズをはじめとして、恐らくラノベ作家としては最も注目度の高い西尾維新原作でジャンプ連載中の人気マンガ。
最新の13巻まで読んだ。
容姿、身体能力、性格など、あらゆる面で「完璧」な女子高校生が生徒会長となって、生徒たちの悩みを解決していく、という話のはずだったのだけれども、ジャンプのお約束と言うか、やはりバトルマンガになった。
様々な特殊能力を持った生徒たちが出てきて、戦いの中で彼ら自身の悩みを解決してく、という方向に転換することで、長期連載に成功した。
最近のバトルマンガは『HUNTERXHUNTER』にしろ、『ワンピース』にしろ、『ジョジョの奇妙な冒険』にしろ、ギミックありきで戦っている作品が主流になっている。
バトルマンガである以上、最終的には肉体言語に還元されていくわけだけれども、それでも、その過程において、キャラクターに即した「能力」を描写することで、キャラの内面をより深く掘り下げることができる。
『キン肉マン』とか『北斗の拳』とか、『あしたのジョー』、『六三四の剣』『リングにかけろ』『聖闘士星矢』『ドラゴンボール』・・・何でもいいんだけど、90年代以前の作品はわりと肉体言語の延長線上にある「必殺技」がキャラクターのアイデンティティを象徴し、ドラマ生を重視した手法で作品世界をつくっていたけれども、現在のように「キャラ」という概念がクローズアップされるような風潮になると、より特異な性格を求められるようになっているのだろう。
もちろん、今でも肉体言語の延長をやっている『ベルセルク』とか『クレイモア』とか『グラップラー刃牙』とか、いくらでも例外はあるんだけど、全体の流れとしてはそういうことなんだろうな、と思う。
キャラクター設定のテンプレートがより高度化しているのかもしれない。
で、『めだかボックス』でもそういったキャラの「能力」が作品のキーを占めているのだが、バトルマンガになってしまっているとはいえ、物語のスタートが「お悩み解決」であったというのはそれなりに大きな意味を持っていると思う。
「人間」の様々なヴァリエーションの可能性が能力としてデフォルメ、明確化された本作において、勝負の勝敗はそれほど重要なファクターではなくて、その能力、ひいては能力に結実しているその人物の人生を読み解いていくことが重要になっているのは、一応、テーマとして「お悩み解決」がいまだに貫通しているからだろう。
だから、負ける方はほんとに人間性を赤裸々に暴かれていくわけで、その過程がとても興味深い。
「人生」そのものを武器にしたバトルが展開されるので、真実を穿っているかのようにみえる「名言」が目白押し。
以下、抜粋
「不条理を、理不尽を、嘘泣きを、言い訳を、いかがわしさを、
インチキを、墜落を、混雑を、偽善を、偽悪を、不幸せを、
不都合を、免罪を、流れ弾を、見苦しさを、みっともなさを、
風評を、密告を、嫉妬を、差別を、裏切りを、虐待を、巻き添えを
二次被害を、いとしい恋人のように受け入れることだ。」
「『人生はプラスマイナスゼロだ』って言う奴は 決まってプラスの奴なんだ」
「世界は平凡か? 未来は退屈か? 現実は適当か? 安心しろ、それでも生きる事は劇的だ!」
「友達ができないままで友達ができるやつに勝ちたい」
「努力出来ないままで努力できるやつに勝ちたい」
「勝利できないままで勝利できるやつに勝ちたい」
こういうのが心に刺さるか刺さらないか、というのは結局受け手の問題になるわけだが、わりと感化される人は多いと思う。
私も何かしら胸を打つものを感じたしね。
そういう際立った「人間のありよう」「人間の可能性」をいろいろ見せてくれてはいるのだが、ただ、いささか強さのインフレならぬ、「人生のインフレ」を感じないでもない。
やはりリアリティとか整合性みたいなのから、少し離れているので、どうしても失笑してしまう瞬間というのがある。
それも受け手の好みの問題になっちゃうんだけど、これだけ多様な「人間の可能性のヴァリエーション」を見せられると、シリアスな展開も期待してしまうんだよね。
宮崎摩耶『ゴクジョッ。~極楽院女子高寮物語~』
今期、アニメ化されたマンガなのだけれども、その第一話があまりにも下品すぎたとかいうことで放送局の判断で放送自粛、という憂き目にあって、話題になった。
見事なまでの炎上マーケティングだと思うけど、第2話が放送されたので見てみたら、出来があまりよくなかったので、これ以上広がるのは難しいかもしれない。
ただ、原作とアニメは別物で、原作は意外に面白かった。
女子高の寮を舞台にしたギャグマンガで、基本的には女の子しか登場しない作品。
もう20年近く前の作品になってしまうけど『行け!稲中卓球部』を彷彿とさせる下劣なギャグセンスが気持ちいい。
というか、ギャグセンスやキャラの表情の作り方などは、ほとんど稲中と変わらない。
ちんこと同レベルでギャグの小ネタとしてまんこが使われているのはこの作品くらいではなかろうか。
稲中は男女双方に重要なキャラクターがいたけれども、こちらの作品には男性キャラでそういう存在がいないのがちょっと興味深い。
あと、マーケティング的な要請だろうけど、基本的にはそれなりに可愛い女の子しか登場しない。
稲中には男も女もありとあらゆる不細工が登場したものだけれども、そのような振り幅の大きさはこの作品にはない。
男の不細工が主役を張る作品はいくらでもあるけど、やっぱり不細工な女の子が主役を張るのは難しいんだろうなあ。
だから、稲中にあったような心の闇を覗き込むような不気味さもこの作品にはない。
ひたすら女子高校生が身体を張った下品な青春ライフを送っている。
あの当時、稲中を読んで、これは男子中学生の生態としては今までになかった手法でリアルな一面を切り取っているなあ、と感じたものだけれども、この作品は女子高校生のリアルな一面をどの程度切り取っているのだろうか。
レディースやBLではなく、男性向けエロマンガ出身の女性作家で、男性から見て劣情を抱ける女の子をきちんと描けている為、どうしてもエロマンガ的な「都合のいい女の子」像の延長線上で見てしまうんだけど、性の対象として見るにはギャグのテイストが強すぎる気もする。
こういう下品の領域にまで女性主人公、女性作家が入り込むようになってきたのか、という感慨は強いのだけれど、女の子同士の関係に終始しているという点で、むしろ『あずまんが大王』や『けいおん!』の延長線上で捉えたほうがいいのかもしれない。
武井宏之『シャーマンキング』
10年前にジャンプで連載していた少年マンガ。
最近になって、作品中に登場した劇中詩にメロディをつけた作品がニコニコ動画にアップされ、それを本作のアニメ版でヒロインの声優をやっていた林原めぐみが自ら歌ったということで話題になっていた。
で、聞いてみたらよかったので、ついつい原作にも手を出してみた。
『3×3EYES』や『うしおととら』、『Fate/stay night』などと同じように、霊的な存在を味方にして戦う王道バトルマンガ。
希少価値を主張できるほど優れたプロットでもないけれども、演出がうまかったので、スラスラ読めた。
ストーリーや設定に突っ込みどころがいっぱいあるし、「人の死」の取り扱いについて、首肯しかねるところがあるので手放しで褒める訳にはいかないし、大人のマンガ好きに訴えかけるほど力のある作品かというとそんなこともないけど、まあ、当時の少年達には面白く読めたんだろうな、という作品。
ただ、主人公の性格設定の秀逸さはそれでも触れておかないといけないと思う。
物語のフォーマットとしては王道バトルマンガであるにも関わらず、主人公の性格のゆるさ、余裕の持ち方は興味深かった。
現在の看板作品、『ワンピース』にしろ『ナルト』にしろ、『ハンター×ハンター』にしろ、なんだかんだ言ってジャンプマンガの主人公は熱血だったりするけれども、本作の主人公麻倉葉にはそういう熱血めいたところが皆無だった。
たとえば『ラッキーマン』なんかもバトル漫画であるにも関わらず主人公が熱血しないけれども、あれはバトル漫画というフォーマットを借りてこそいるが、実のところはギャグマンガだったりする。
自然体の心の持ちようで幾多の勝負を勝ち抜いていく、という形でそれなりに人気を博し、長期連載を成し得たというのは、希少価値と言えるかもしれない。
明らかに主人公の性格が「物語の爽快感」を殺してしまっている部分というのは否めないわけだけれども、そこら辺は脇を固めるキャラクター達のステレオタイプな熱血でフォローしていたように思う。
それと、冒頭で紹介した『恐山ル・ヴォワール』のエピソードは白眉と言っていいと思う。
マタムネというキャラクターの掘り下げ方は素晴らしい。
喪失の哀しみを一身に背負った小さな勇者の姿には素直に心を打たれた。
全体に、作中における過去話はよくできていたんじゃないかな。
ケロQ『素晴らしき日々~不連続存在』
2010年に発売された18禁ゲーム
叙述トリックや哲学、心理学、文学の多彩な引用が散りばめられた実存探求ストーリー。
電波やいじめ、猟奇シーンの描写がわりと濃密に描かれている前半はかなりしんどくてイライラさせられたし、読むのがかなり苦痛だった。
始める前から人によっては好き嫌いが分かれる、というのは聞いていたけど、どうやら私は嫌いなほうなのだな、と思いつつ読み進めた。
とっつきやすさという意味ではかなり損している作品だと思う。
全六章構成になっているのだが、一章は電波、二章は電波プラスいじめ、三章はいじめが主で、それらの描写のねちっこさは本当にすくわれないし、鬱にさせてくれる。
ただ、ストーリーや設定に関する背景がわかってくるにつれて、無視できないテーマ性が潜んでいるな、という予感が感じられたので、それがひっかかって話を読み進めることができた。
四章以降はそれまでの鬱屈を晴らすように、様々な謎が解き明かされていく。
その過程は実に素晴らしかった。
作中で語られる認識論や哲学論考、文芸批評はそれほど新規なものでないし、ガジェットであるなあ、という評価以上のものはなかったのだけれども、作中の「しかけ」が実に巧妙で、全体通しての主人公の設定の奇抜さや、それを可能たらしめた描写の妙にひたすらうならされた。
さらに、読後感の特殊さがこの作品の評価を分けている要因にもなっていると思う。
エンディングで語られる会話と、作品全体の設定やストーリーの辻褄を合わせようとすると、これは陳腐なものになってしまうのではないか、という懸念が残る。
いくつかの要素を抜きにして考えれば全ての辻褄をあわせられるのに、そうしなかったのは作り手の意図的なしかけなんだと思うけど、個人的にはなしかな、と思った。
電波を扱った作品という意味では大槻ケンヂの『新興宗教オモイデ教』という先行傑作があって、かの作品は後に『雫』という、これまた電波を扱った18禁ゲームでモチーフにされたことがあった。
『ドグラマグラ』もそうだけど、独特の眩暈感は、電波作品ならではと言っていいと思う。
どれもとっつきにくいけど、考えてみれば、テーマ性と「電波」を両立させた作品てそれほど世に存在しないような気がする。
あまりたくさん読みたい類のジャンルではないけど、クリア後は、脳みそを揺さぶられるような余韻がずっと残るようで、素晴らしかった。
叙述トリックや哲学、心理学、文学の多彩な引用が散りばめられた実存探求ストーリー。
電波やいじめ、猟奇シーンの描写がわりと濃密に描かれている前半はかなりしんどくてイライラさせられたし、読むのがかなり苦痛だった。
始める前から人によっては好き嫌いが分かれる、というのは聞いていたけど、どうやら私は嫌いなほうなのだな、と思いつつ読み進めた。
とっつきやすさという意味ではかなり損している作品だと思う。
全六章構成になっているのだが、一章は電波、二章は電波プラスいじめ、三章はいじめが主で、それらの描写のねちっこさは本当にすくわれないし、鬱にさせてくれる。
ただ、ストーリーや設定に関する背景がわかってくるにつれて、無視できないテーマ性が潜んでいるな、という予感が感じられたので、それがひっかかって話を読み進めることができた。
四章以降はそれまでの鬱屈を晴らすように、様々な謎が解き明かされていく。
その過程は実に素晴らしかった。
作中で語られる認識論や哲学論考、文芸批評はそれほど新規なものでないし、ガジェットであるなあ、という評価以上のものはなかったのだけれども、作中の「しかけ」が実に巧妙で、全体通しての主人公の設定の奇抜さや、それを可能たらしめた描写の妙にひたすらうならされた。
さらに、読後感の特殊さがこの作品の評価を分けている要因にもなっていると思う。
エンディングで語られる会話と、作品全体の設定やストーリーの辻褄を合わせようとすると、これは陳腐なものになってしまうのではないか、という懸念が残る。
いくつかの要素を抜きにして考えれば全ての辻褄をあわせられるのに、そうしなかったのは作り手の意図的なしかけなんだと思うけど、個人的にはなしかな、と思った。
電波を扱った作品という意味では大槻ケンヂの『新興宗教オモイデ教』という先行傑作があって、かの作品は後に『雫』という、これまた電波を扱った18禁ゲームでモチーフにされたことがあった。
『ドグラマグラ』もそうだけど、独特の眩暈感は、電波作品ならではと言っていいと思う。
どれもとっつきにくいけど、考えてみれば、テーマ性と「電波」を両立させた作品てそれほど世に存在しないような気がする。
あまりたくさん読みたい類のジャンルではないけど、クリア後は、脳みそを揺さぶられるような余韻がずっと残るようで、素晴らしかった。






